2026年6月22日投稿
【43歳で走れなくなった私が、マラソンを始めた日】Vol.7
私がマラソンを始めたきっかけは、次男と一緒に走った、ある夏の日の出来事でした。
2008年の夏、私は43歳。
中学の野球部に入った次男と、久しぶりに近くの公園でランニングをしました。
ところが、全然ついていけない。
「えっ、こんなに走れなくなっているの?」
自分の体力の衰えにショックを受けました。
それまでは、次男が所属していたソフトボールクラブチーム「東若久ファイターズ」の活動に毎週のように付き添い、子どもたちと一緒に走っていました。
ところが卒団して約8か月。
いつの間にか、自分自身はほとんど運動しなくなっていたのです。
「これはまずいな」
そう思い、スポーツクラブに入ろうかと妻に相談しました。
すると返ってきた言葉は、
「どうせ通う暇ないやろ。大池公園を走ればいいやん。」
でした。
なるほど、その手があったか。
こうして私は、自宅近くの公園を走り始めました。
最初は1周もきつかったのですが、3周、5周と走れるようになると、だんだん楽しくなってきます。
そして、
「せっかくだから大会にも出てみよう」
と思い立ち、初めて参加したのが「海の中道はるかぜマラソン」の10kmでした。
なんとか完走したものの、ゴール後は足が攣って靴もまともに脱げません。
それでも会場を見ると、同じコースを2周するハーフマラソンのランナーたちが平然と走っています。
「すげえなぁ。この人らは別世界の人やなあ。」
当時は本気でそう思っていました。
ところが、その後の私は福岡シティマラソンのハーフマラソン、そして筑後川マラソンのフルマラソンへと挑戦していくことになります。
初めてのフルマラソンだった筑後川マラソン。
30kmまでは順調でした。
しかし、その先が地獄でした。
脚は攣る。
腰は痛い。
これが「満身創痍」かと思いました。
最後の10kmは歩いた時間の方が長かったかもしれません。
ゴール後は駅の階段を手すりにつかまりながら、一段ずつ上り下りしたことを今でも覚えています。
それでも不思議なことに、
「もう二度と走るものか」
ではなく、
「次はもっと上手く走りたい」
と思ったのです。
その後、会社の同僚に誘われて、労働組合のイベントだった「いぶすき菜の花マラソン完走ツアー」に参加しました。
貸切バスに乗った瞬間から宴会が始まり、現地でマラソンを走り、ゴール後もまた宴会。
今思えば、とても楽しいイベントでした。
そして何より、そのツアーでたくさんの仲間と出会いました。
驚くようなタイムで走る人。
日本全国の大会を走り回る人。
皆さんから刺激を受けるたびに、
「自分ももう少し頑張ってみよう」
と思えたのです。
振り返ると、私が18年間走り続けてこられたのは、決して一人の力ではありません。
大会という目標があったこと。
そして、マラソンを通じて知り合った仲間がいたこと。
その存在が、私を支えてくれました。
今、62歳になり、膝の手術を受けることになりました。
それでもまた走りたいと思っています。
なぜなら、走ることで出会えた人たちや経験が、私の人生を豊かにしてくれたからです。
これからも、自分なりのペースで挑戦を続けていきたいと思います。
そして、このブログを通じて、皆さんにも少しでもその楽しさや刺激をお届けできたら嬉しいです。
